令和2年06月15日、大切な友人が27歳という若さで逝去しました。
友人との死別が初めてのことで、1ヵ月経ってもふとした瞬間に思い出しては涙が止まらない。
この記事は
- 僕自身の気持ちの整理
- 彼が僕にとって大きな存在であったことの軌跡
- SNSでお世話になった方への感謝
僕の自己満で書き綴ったもので、悲しい出来事の内容です。ご注意ください。
突然の訃報
名古屋警察署から着信があり、唐突に突き付けられた彼の死。警察官が話していることを理解するのに数分かかったと思う。理解というよりは、この人なに言ってるんだろう状態。
ぴーゆさん(本名は伏せます)と頻繁に連絡をとっていたのは翔吾さんだけだったので、恋人関係でしたら早急にお知らせしなければとお電話しました、と話していたのは覚えている。
警察の人は、ぴーゆのスマホの中身で彼がLGBTであると知ったのだろう。
恋人でも血縁関係でもないけれど、連絡を取らない日はあったかな?ってくらいだから勘違いしても仕方ないか。
関係性を聞かれ、ぴーゆが亡くなったことを告げられ、それだけで終話。
不思議なもので、その瞬間は涙は出ず、ただ茫然とこれは現実じゃないと言い聞かせた。
きっと夢を見てるんだ、起きたらしょごんごカマッテ遊んでってLINEが来てるはずだって。
アニメにありそうな展開になることもなく時間はいつも通り過ぎて、ぴーゆの訃報を受け止めた瞬間、あふれる涙が止まらず、ただただ会いたくてたまらなかった。
くだらない話でバカ笑いして、YouTubeどうしてこうか~とか、カラオケ行きてぇな!とか、なんでもいいからぴーゆと話したくて、これが現実じゃないことを願っては落ち込み、このままでは精神的にまずいと思い予定を詰め込んで考えないことを選んだ。
考えないを選択した結果
結論から言うと、精神的ダメージ大。
僕の性格上、逃避することは無意味でした。忘れよう、なかったことにしようと思っても、長い付き合いの痕跡は必ずどこかにある。逃避してる自分自身が大嫌いになりました。
向き合うことを決めてから、少しずつ気持ちの整理に入り、もっと健康に気をつけるように言っておけばよかった・筋トレちゃんと指導して体調管理してあげればよかった、あぁでもないこうでもないことを考え、それでもこの現実は変えられないけど、自由奔放な僕を世話焼きしてくれた彼の優しさを振り返って、改めて彼が僕の中でとても大切で大好きな存在だったことに気づいた。
悲しい気持ちの涙から、たくさんの優しさに対しての感謝の涙に変わっていったように思う。
訃報はすごく悲しいことだけれど、ぴーゆのあったかい心が長い間そばにあったことに気づけたことはこれからの人生の糧になるはず。
SNSでぴーゆを知る方たちへ
ぴーゆとSNSで仲良くして頂いた方、ぴーゆに代わり厚く御礼申し上げます。突然の訃報で驚かせてしまい申し訳ありません。
死というものは影響力が凄まじく、悲しみは楽しいことよりも記憶に残る。伝えるべきか迷いましたが、更新が途絶えどうなったかモヤモヤするより、ぴーゆがどんな人物だったのか話ししつつ弔って頂けたらと思います。
人を楽しませるエンターテイナー
ぴーゆとの出会いはゲイバー。僕は昔、水商売してたのでお客さんとゲイバーに行くことがよくありました。そこでマシンガントーク全開の彼に出会います。こいつ、ネタ帳でも持ってんのか?てくらい凄まじいトーク力に圧倒され、めちゃんこおもしれーから今度焼肉食いに行こうぜ!が初めて遊んだ記憶。
僕もよくしゃべる方だけれど、彼は会話の組み立て方がとても柔軟で、相手の心情を汲み取るのに長けていたと思う。
ハードモードな環境でも上を向いていた
友人の中で、1番ハードモードな人生だなぁと思っていました。いろいろな問題を抱えて相談を受けたこともあるし、背中で大泣きされたことも。ツラいと愚痴をこぼすこともあったけど、自分の現状をちゃんと理解して今できることは何かということにちゃんと向き合っていました。
ただ、マルチタスクが苦手で1つのことに全力投球タイプ。そんな自分が出来損ないだと自責しているのを、僕には絵心がないし芸術センスが皆無だからもっと自信持ちなさいやって何度も何度も話した覚え。
人のために努力する奉仕型
ぴーゆは自分自身のことよりも、人のために頑張るのが好き。ただ、生の声で笑顔で称賛をもらうことに飢えてた。僕のブログの初期アイキャッチやYouTubeはぴーゆが編集してくれていたんですが、僕はすごいすごい!はいボーナス!って直接顔を見て話したり報酬を渡すことができたけど、SNSからの依頼は本当に満足してもらえてるだろうかって不安になっていました。
おそらくデザイナー根性?
もっと良い作品を納品できたかもしれない…と自分で追い込んでるのを、依頼きたんだから堂々としとけや!って怒ったこともあったなぁ。
我が家の家族に大人気
僕は父と母、姉との4人暮らし。ぴーゆは、とくに姉貴と仲良しでした。イラストを描いたり占いが好きだったりゲーマーでもあり、共通点が多く知らないとこでLINEしてるほど。
ぴーゆが家に泊まりにくることもあり、我が家の家族全員と食卓を囲んでテレビ見ながら晩飯と朝飯を食べたりの思い出も。
ぴーゆは礼儀作法が本当にしっかりしていて、帰り際、ご飯ご馳走でした。○○がとても美味しかったです。ってお辞儀して帰る。
父と母は、若いのにしっかりしたお友達だね、いつでも遊びに連れておいでねまたご馳走しちゃうっ!って言わせるほど大人気。
そんな家族に、ぴーゆの訃報を伝えるのが残念でなりませんでした。
僕から見たぴーゆの羨ましかったところ
ぴーゆから見た僕の羨ましいところがあったように、僕からの彼に対する羨ましいなぁと思うところはたくさんありました。
僕は器用にいろいろなことを同時にこなせる分、一つのことを突き詰めるのが苦手です。ボウリングと筋トレくらいですかね、声を大にして自信ありますって言えるのは。
ぴーゆは深く掘り下げるのが大得意でした。細かいところまでこだわる職人気質。そのこだわりも、デザインセンスの無い僕からしたら鋭い視点だなぁと感心すると同時に、僕にもそんな感性が備わっていたらイイのにと羨ましい姿でした。
SNS上でのコミュニケーション力も素晴らしかった。僕はリアルでの付き合いは図々しいほどグイグイいけるんですが(ぴーゆからはコミュニケーションおばけと呼ばれてました)、ネット上となると相手の顔色が伺えない怖さから、相手からの絡みがないと自分からはアタックできない小心者。
そんな自分とは対照的に、ぴーゆはTwitterでたくさんの方に自分から声かけしていたかと思います。気になる人はフォローして好き好きアピールしたらイイのよぉー♪って、SNSを楽しく使いこなしていた。
書き出してみると、対照的だからこそカチっとはまるコンビだったのかな。お互いの得意不得意を自然と補うことができた友達は唯一無二でぴーゆだけですね。
受け止め進むだけ
綴りたいことは山ほどありますが、だいぶ長くなってしまったのでこのくらいにしときましょう。
ぴーゆの一面を少しでも感じて頂けたら幸いです。
これから先、ふとした瞬間に思い出して感傷にふけると思うけれど、起きたことは変えられない。変えられないなら学んで活かす。それが僕の選択した道です。
ぴーゆともっとたくさん遊びたかったし、これから先がまだまだあると余裕こいてた自分にガッカリですけどね。
大切な人と過ごす時間を大事に生きていこう。
我が親愛なる心の友【ぴーゆ】たくさんの笑顔をありがとう。
ぴーゆが大好きだった曲【Starry Heavens】を置いておきます。彼が伝えたいメッセージぽいし、今を生きる僕らが彼に語りかけるような良い曲です。ぜひ聴いてみてください。
たくさんの方からのリプを拝見し、ぴーゆがとても好かれていたことが僕にも安らぎとなりました。僕からも心より感謝申し上げます。